ワタ会いAfter語り

2021年4月26日

ワタ会いの巻で「心に対する見解」を述べているセリフがあったけれども、もしかしたらミイサの元々の意見はあれとは別にあったんじゃないかとも思う。
あれと一致していても構わないんだけど、別の世界線というのか、「他にも」可能性がありそうだなってこと。

その可能性のひとつが、ミイサは「無」と紙一重だったりとか、そういうとこあるかなって説。
山羊13°と親和性の高そうな、ごりごりストイックな究極性、シビアな世界観を含むかんじで。

他には、精神は環境に対して反射する鏡でしかなく、純粋な「私」の意志はなく、すべてが外部の情報に依存している、とか。
タイナが期待していた心の形 (人間そのものの姿) とは対立する概念になるかもしれない。

かがみ説はキイクーとの親和性のほうが高そう。
あと、ミイサが鏡の役割持ちやすい説につながっていく。

そうは言ったけどそれでもミイサは、偉大な霊的存在を信仰しているのが初期設定 (2019年) にある。
魂とか、意志の力とか、偶像とかシンボルとか、そういう概念には寛容なんじゃないかな。

その霊的存在がどう存在するかといえば、概念でしか捉えられない。ひらめきと洞察に頼るしかない。
そうでなければ、法則という概念を覆うように肉付けされたこの世の全てがどんな姿で表れているのか、どんな法則を隠しているのかを知り尽くすのが近道だ、という捉え方を、ミイサはしている……かも?

あれ、この言い方だと、概念と法則が平行線でバラバラに存在している気がする。
個人が洞察して扱う一行目の概念と、世の理という二行目の概念が。
そうだ、前者は「観念」だ。そっちがあってた。

ミイサにとっての神は「この世の仕組み」だと言った回もあって……原理に興味がある系。
偉大な誰かが世界を作ったって派とは別腹で、彼が畏怖する存在は世界中に細かく散りばめられていて、それでいて巨大な全体像でもあり、世界そのものがまるで偉大な何かのようだ、宇宙はすごい生き物だ、みたいな。

ちなみにテンナは、神てきな存在は文化の中にあると考えている。
道徳や美徳、または生活の知恵のように、人間が発明し、人々の間で共有されている「社会にとって便利な概念」だと考えている。
そのせいでテンナは、小さな冒涜を度々やらかす。合わないと思えば見くびってしまい、失言もする。

例えばテンナ氏、宗教的な賞罰の概念で脅されても「俺には関係ない」「勝手にしろ」と言ってしまう (ちょー無礼) 。
しかし「そういう概念が信じられている」という部分には理解と興味を示す。信じる信じないの天秤にかけることを想定したまま。
なので民間信仰の「知識には」寛容だけど、己の生活習慣に組み込むのは断固拒否、という立場。

これも2019年の初期設定で、テンナはもともと古今東西の信仰に興味があり、今の所属している教団とも、渋々ながらお付き合いを続けているという。

ミイサにとって人の自我は突き詰めると「無」である?
→他人のそれも同じく無ってことに
→では彼は一体何の存在を「あるもの」と仰いでいるのか
→物質世界と、それらの営み。肉体としての我々も含む全ての事象
→目に見える世界と、生物的な知覚によって組み立てられた、概念&認識の世界

そうか「事象」だ、出来事でもいい、物質でもある。
それを渡しながら活動する「事象の通路」みたいな存在が自分たちなんだ、って派かな。
全部を通せばそれは完全な透明の何かだ。
だから全部を通してるんじゃなくて、トランジスタみたいに何か噛んでる、挟んでる、間に立って空間を歪める存在。

じゃあ「私」じゃなくて「渡し」に近い捉え方なんだ……

無じゃないじゃん! トランジスタ説が近かった。

これは筆者の手札混濁もきっとある、多分にある……
だとしたらその場合は、筆者が「無」に抵抗している。
「物質世界と、それらの営み。」辺りからその抵抗が効いてくる。

肉体どうでもよくて頭の中で生きてる、知識欲の化身なミイサがあってもいい。

ただ、山羊座属性がそれを引き止めてしまいそう。さらに、△な牡牛座、東の門番の連携もあって。
だけど一方で、逆にその山羊座属性が、脱俗ストイック探求モードをマシマシで加速させる場面だってありえる。
かにやぎ中盤度数はそこんとこ強いし (個人の印象です) 。

結局どっちなんだろうね。 ~おわり~

2021年4月29日

ミイサは「神の慈悲」を信じている。
祭壇で儀式を行うにあたって霊的存在の意志とつながることを信頼している。
そういう方面では、こないだ話した宗教観とちょっと違うとこあるかもね? まだ不確定な部分。

2021年8月15日追記

そうしたら彼の崇拝している対象に、擬人化も何もされていない純粋に科学的な法則と、人の話が通じるし神聖な慈悲を向けてくれる存在とがそれぞれ存在する、って解釈になってしまうんじゃない? (それはそれでアリ)

世界の骨組み全体を神聖な存在と見なしながら、それを神様と同一視すると考えたなら、あるいは……?

純粋に科学的な法則に対して敬虔だった少年ミイサを経て、そのあとは科学の視点から離れて密教めいた霊的な解釈で掘り下げることに夢中になっていったのが、今のミイサなんだろうか。

かるくググっただけでこれ以上調べものする勇気がないけど、ミイサと密教、かなり親和性たかいぞこれは……
(もし仮にまともに調べ込んだら、やっぱり違ったかもなという要素がもっと出るかもしれない)

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