タロット遊び - どっち路線で続ける?
2020年3月24日
前置き
クリスチャン・アストロロジーを超々わかりやすく解説してくれてる書籍をしって読み始めた。読みやすくてうれしい。
だけど一時期みたいな貪欲な楽しさはもう枯れてしまってて、さー読もうってタイミングに勇気がいる。
今までくっつけてきた知識が剥がされそうな恐怖が再びやってくるのだ……
(といっても内容は有名な古典の基礎知識だから、以前覚えたのと共通の部分が多い。言うほど心配ないよ)
せっかく昨日落ち着いてて良い日だったのに、欲張って課題を背負うんだなー。
タイナの国が「他否の国」になりかねん! (完全鎖国)
本題:どっち路線で続ける?
タイナの国というコンテンツの岐路についてタロットをひこう。
なににしよっかな……控えめに正しさに従うか、邪道に奔放に突っ走るか?
人間関係の質問ではないけど、人の目とか意思の相違とかが関わる問題なので、セブンテーリングで。
TAROT2というアプリで引いて、Google検索も使いながら。
自分の現状:杖の3、自由な広がりをみせるとき。
過去ツイの整頓が順調だったり、星よみの勉強またやろっかなーってタイミングNOWなのが該当する。
ただ、世界を広げることには乗り気しなくなっていて、殻の中で好きなようにやらせて貰ってます。
自分の心理状態:剣の7、真実から逃げ出したい状態だったり、こそこそと悪賢いことをして一人勝ちしようとしていたり。
タイナの国をやるにしても、間違ってるんだろうな、良くないだろうな、なんて後ろめたい気持ちなのが今回の質問にもつながった。
だからこそ非公開wikiで地道にやっていたんだ。
相手?の心理状態:審判の逆、期待に暗い影がさす。過去と未来とがうまく繋がってない。
こちらが過去に囚われたり、努力をやめてしまったり、アドバイスを聞けなくなっていたりで、ガッカリしているともとれる。
今回の質問に「特定の相手」は居ないけれど、そういう印象を与えかねない、ってことで。
原因:杖の7、困難に立ち向かい、有利な立場にいる。
いい意味のはずだけど、ここでは「原因」。
試練がやってきて気の抜けない状況か、何かに対抗しようと意識しているのかもしれない。
さっき言った「欲張って課題を背負い」の部分がそれだった。
余裕のなさの表れ。恐れている正義は、本当に敵?
警告:杖の王、独立志向や熱い夢。
しかし警告となると、逆位置と変わりないどころか、逆位置以上にストレートに「これです!」と指摘してる感ある。
主張の押し付けだったり、独善っぽい行動だったり、狭い視野に閉じこもってたりするのが悪い意味。
こちらも余裕のなさがある。聞く耳持とうよ的なね。
中間結果:くよくよの巻
ここまで見たところで、だんだんクルミ並に殻が硬くなってきてやばいぞ、という受け取り方をしました。
せっかく築いた「城」をもう壊したくない、間違っていても、もういい……と。
知識を柔軟に取り入れるのが怖くなってきてるのはとっくにそんな感じ。
去年だって今年だってあんなに楽しく勉強したりネットを読み漁ってたりした、それが嘘みたいに吸収力をすっかり失くし、目を逸らしがちになってしまった。
結局、やりたいこととやるべきこと、楽しいことと正しいこと、どちらが良いのか選べなくなっていて、悲しくなってきたぞ
やりたいことをやっても、間違っている。やるべきことをやっても、生きた心地がしない。
この対立の設定がそもそもマズいのは言うまでもなし。
……と、いかにも杯5の正位置っぽい心境 (自信クラッシュ) が定期便で届くタイナの国ですが、次に紹介するのは逆位置のほうです。
2020年3月25日
結論
解決方法:杯5の逆、喪失の悲しみから回復するチャンス。
手元にいま残っている希望や可能性に目を向ける。悲観から離れるとき。
絶望が和らいできたら、そのときに状況を広ーく見渡して、良い部分を知ろう。
せっかく築いたタイナの国の良い側面。「全てが」間違っているのでも、正しいのでもない。
結果:杯3の逆。フワッとフラッと流されて、望まぬ方向になびいてしまう。
成功のカードの逆位置。方針がブレる。
「今の状態でいうと、タイナの国が成功とは言い難い」。
道から目を逸らしているかぎり、これからも迷いが続きそう。
「軸を固めてほしい、殻よりも」が全体の総評。
挫折が前進を拒む
また以前みたいに星読みの勉強を楽しめる状態になったら、自信がついてくるかもしれないね。
そしたらそれが、タイナ達の「アップデート」にもつながる。
設定が破壊される感覚じゃなくて、もっと良い武器に付け替える、グレードアップしていく感覚へ。
1月も古典を学びながら頑張ってたし、それはそれで気分よくやれてたんだけど、段々しんどくなって再び脇道で遊ぶようになった。
これは、ちょうどその一方で12月から落ち込み期だったのも関係している。
正しさにめげた現象は12月の最初や11月中旬からすでに色濃く、そのきっかけは公開恐怖症だったり、理解者に飢えたりして塞ぎ込んだこと。
古典の勉強で落ち込んだのは何かしらの「表れ」であって、原因とするにはとばっちり。
でも原因扱いしそうになるのも激わかる。
年末にカルチャーショック受けて自信が大破したもんね (特に12月24日)
ジャンル両生類、井の中で溺れながら
白状しますと筆者は、サイデリアル (タツミの国) やら、複数のリリス (リイヅとリイナ) を知った頃からじわじわと、「度数にはこだわれない」派を支持しつつある。
なので、せっかくサビアンだとか度数の名前だとかで凝りに凝って設定遊びしていたのが、それさえも無意味だったのかなと、イマイチ信頼しきれていない。自分で困惑している。
度数については、これからも懲り……いや、凝りたい意欲はまだある。
これはこれで、おもしろいから続けていたい。
タイナの国が始まるよりもずっと前、星読みを深く楽しむきっかけがサビアンだったので、頭がそうなっている。